昼休み、学校の中庭に出るとふうっと春の匂いがする。
頬に触れる風も、どこか暖かい。
コンクリートのベンチは陽射しに溢れてる。
春だなぁって思う。
朝も夜もまだまだ寒いし、お気に入りのダウンもまだまだ離せない。
けど、こうした日って、このまま春になっちゃうんじゃないかなって思う。
あたしは陽射しが一番照らされているベンチに腰かける。
ダウンがなくたって、汗ばみそうに感じちゃう。
春、もうすぐ三年。
確か去年の今ごろも、こうしてこの場所で、“もうすぐ二年”って思った。
ううん、思ったんじゃなくて、“もうすぐ二年になるね”って、魅録に言ったんだ。
そしたら魅録、“あっと言う間の一年だった”って言ってあたしに微笑んだ。
あの頃、あの頃までは、魅録はあたしにまだ頼ってた。
ずっと違う学校に通ってて、学園に入学したのは高等部からだからね。
まだこの学園の雰囲気に慣れてなくて、規則も面倒だって。
目に見えるのはまだしも、目に見えない柵ってのは面倒だしなって。
「けどお前のおかげで手にした仲間はサイコーさ!」
あたしもその魅録の言葉、サイコーだったよ。
陽射しを顔に受けて話す魅録はすっごくカッコよかった。
魅録の視線はあたしにいつも向いていて、その瞳は陽射しを受けたように輝いていた。
いつからだろう?
視線の先があたしを逸れてしまっていた。
あたしではない別の友達。
あたしの・・・大切な仲間。
気がつかなければよかったんだけど、気がついちゃうよ。
だって魅録ったら、あたしに訊くんだもの。
“野梨子って、幼稚舎から一緒だったんだろ?”
“清四郎と幼馴染みの関係だけ?”
“いつも清四郎といるけど、どう思ってるんだろうな、お互い”
幼稚舎から一緒だったけど、清四郎との関係は分かんないよ。
ただの幼馴染みなんだろうけれど、ホントのところはワカンナイ。
もっと親密な関係にも思える。
だって、余計な言葉がなくても分かり合ってるみたいだもん。
「年取った夫婦みたいな関係じゃない?」
あたしはそう答えた。
そしたら魅録、真剣な眼差しで遠くの空を見つめたっけ。
何かを考えているようで、もうそこにはあたしの存在はないって思えた。
二人でいても心ここにあらずって感じで何気なく野梨子のことを訊いてくるから、あたしは魅録に背を向けて言った。
「そんなに気になるなら、直接野梨子に訊くといいさ」
“そうだな”って魅録。
それからかな。
魅録、あたしから離れて行った。
実際の距離は離れてないけどね、そんな気がしたんだ。
ぴゅうって、ちょっとだけ強い風が吹く。
あたしはダウンの前を合わせ、肩をすぼめた。
淋しいって、素直に思える。
魅録と顔を合わせると言葉が詰まって涙が出そうになる。
会いたいのに、会いたくない。
こんなに大好きなのに・・・
今まで通りの付き合いでいい、傍にいたい。
それがあたしの願い。
でも、魅録と野梨子の距離が少しずつ縮まる度に、そんなあたしの願いは嘘だって分かるんだ。
あたしも、魅録の特別になりたい!
魅録とあたしの距離が遠のくにつれ、清四郎との距離は確実に縮まってる。
清四郎は優しい。
でもあたしは、その優しさにただ甘えている。
清四郎があたしに触れても、魅録と話している時のようなトキメキはない。
あたしは魅録が好き。
魅録は野梨子が好き。
野梨子も、きっと魅録が好きで・・・清四郎を大切に思っている、多分。
清四郎は?
清四郎も野梨子を大切に思っている。
でも、好きなのは・・・
「悠理」
急に声をかけられて、びっくりして振り向くと清四郎が立っていた。
渡り廊下の窓から見えたから声かけたって。
「ダウンなんか着込んで。このままどこかでサボろうとしてたんじゃないでしょうね」
清四郎は笑う。
すっごく自然で、この笑顔に応えられたらなって思う。
どうしてかって分かんないけど、清四郎にはできないって知ってるんだ。
「あっは!どうしてそう思っちゃうの?」
「日頃の行いでしょう。さ、そろそろ戻らないと。悠理の五時限目の授業は何です?」
そう訊かれて、あれって思った時。
「おーい!悠理!」
突然、どこからか現れた魅録があたし達に走りよる。
あたしは不意に清四郎の腕を掴んでつま先立ち、耳元に唇を寄せてみた。
その後のことは、正直覚えていない。
ただ清四郎が珍しくびっくりしてあたしを振り向くものだから、頬と頬が思いっきりぶつかってしまった。
涙目で魅録に視線を動かしたけど、瞳に変化はなかった。
「悠理、探してたんだぜ。次の時間は移動教室だろ?早めに実験室に行こうと思ってお前を探してたんだ」
「移動?」
「もう忘れたのか。五時限目は化学だろ」
「あ、そうだった」
「俺達の班は準備係だったろ」
やだ。そうだった。
「ごめん。すぐ戻るから先行ってて」
「分かった。バツとして、帰りはクレープだぞ」
「わーってるよ」
放課後はバンド仲間の集まり。
だから今日だけは、魅録はあたしだけのもの。
魅録がいなくなった後、清四郎はあたしの真正面に立ち真剣な眼差しで質問する。
「さっき、僕に何て言ったの?」
「なんて?」
「ええ。さっき魅録が来た途端、僕の耳に向かって悠理は何て言ったんです?」
ごめんって、思った。
清四郎のこと、あたしも大切に思ってる。
だからごめん。利用して・・・ごめん。
「魅録、魅録」
清四郎は不思議そうな目であたしを見つめる。
「それだけ?」
「うん」
すっかり忘れ去られていた午後の陽射しが清四郎の頬に当たる。
それに気がついてか、陽射しの方を向いて目を瞑った。
スッゴく、淋しそうな横顔。
「僕をからかったんですか?」
清四郎の横顔に見惚れてたらそう訊かれた。
「まさか」
「じゃあ、魅録をからかったの?」
「どうして?怒ったの?」
首を横に何度か振って、清四郎はあたしを振り向く。
「陽射しはまだ完全な春じゃない」
「うん」
「でも、確実に近付いている」
うん、と言おうとしたけど、清四郎はもう背中を向けていた。