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音もなく雨が降り出した。
さらさらと吹く風に紛れ込むように。
真夏を思わせるような陽射しが一転し、アスファルトが熱を冷ます時に発する独自の匂いが漂った。
雨の予感はあった。
それは朝から感じていて、だから私は、小さな傘を持ち歩いてたのだ。折り畳み傘ではなく。
あるいは・・・もう一つの偶然を予測していたのかも知れない。
「野梨子、傘に入れて下さい!」
突然後ろから声をかけられて、振り向く間もなく傘を取り上げられた。
それは乱暴な行為ではなく、雨から私を守ってくれるような、そんな優しさをも感じられた。
「まあ、清四郎。何故ここに?」
「向こうの会館で、同好会の集まりがあってね。先程終わって、駅に向かっている途中でした。
そしたらこの雨でしょ?駅まで走ろうと思ってたんです」
「偶然でしたわね」
「ええ、偶然野梨子の後姿を見かけて。助かりました」
変わらない笑顔が私を見つめている。
あなたは既に知る、私の歩調と共に歩き出した。
「野梨子は?この辺に用事でもあったんですか?」
「ええ。父様に頼まれて。もう終わりましたわ」
「家に帰る途中?」
「そうですわね。でもちょっと寄り道して帰ろうかと思ってますの」
あなたの気遣いは、意識的なものだと知っていた。
けれど、もう少し・・・こうしていたいと言う気持ちが強かった。
私達が幼い頃から隣り合い、築き上げたこの二人の距離をもう少し感じていたいのだ。
時々触れ合う片腕は温かく感じられたが、もう片方はすっかり濡れている。
もしあなたに、彼女がいなかったら・・・
あなたは私の肩に腕を回し、私の片腕を雨から守ってくれたのだろうか?
いらぬ憶測が、脳裏を掠める。
「家まで送りましょうか?」
止む気配のない雨は、私に偽りの希望を与えた。
けれど現実が、偽りから目を逸らさせた。
「私は大丈夫ですわ。寄り道と言っても直ぐですもの。何なら、この傘を貸しましょうか?」
「とんでもない。僕は電車で移動しますから。傘は邪魔ですよ」
「そうですの。今から悠理と?」
「悠理?いいえ。今日は彼女との約束はないですから」
あなたは何かを察し、ほんの少し冷たい口調で答える。
その冷たさは、私の片腕を更に濡らすようだった。
「せっかくですから、駅まで送りますわ」
あと数メートルで、私達は離れ離れになってしまう。
あの角から先は、それぞれに歩いていかなければ・・・でも・・・
「ありがとう、野梨子。でも、駅まで一息ですから。大丈夫」
「そう?そうですわよね。清四郎ですもの」
あなたは何も言わなかったけれど、微笑んでいたに違いない。
「では、ここで。気を付けて帰るんですよ」
私達は立ち止まり、傘の中で向き合う。
小さな傘は私の腕だけではなく、あなたの片腕をも濡らしていた。
でも、その事には触れずにいた。あなたが私の濡れた片腕について気付いていなかったから。
あなたは私にしっかりと傘を渡し、濡れた片腕を軽く上げて去って行った。
私は暫くの間、あなたの後姿を見つめている。
雨は降り始めた時から変化を感じられないほどの律動で降っている。
音もなく、静かに。
こうした細かい雨を“小糠雨”と言うのだと、あなたは幼い頃私に教えてくれた。
こんなに綺麗な雨なのに“小糠”だなんて、と私は疑問に思った。
けれどこうして今となっては、切ないほどに愛しい言葉となってしまった。
実体のないものの変わりに、私は傘を持つ濡れた片腕をもう片方で抱き、まるで慰めるように摩った。
そうせずには、いられなかったから。
「よう!」
乱暴に傘が、急に宙を飛んだかのように私の手を離れる。
「きゃっ!」
「なにこんな所でぼうっとしてんのさ?」
「魅録」
「雨、とっくに止んでるぜ?」
「あら。まあ、本当に」
見上げれば何時の間にか、薄くなった雨雲の間から青空が見える。
私は夢から覚めるように空を見つめ、それからゆっくりと視線を友人に移す。
私の傘を持つ友人には不釣合いな色合いと大きさで、思わず吹き出してしまった。
「どうした?」
「だって、魅録にはその傘、似合わないんですもの」
「え・・・」
くすくすと笑っていると彼は照れ臭そうに傘を窄め、石突を軸に左右にそれを回した。
「やだ。濡れますわ」
飛沫が足元に飛び、それは彼をも濡らした。
「ごめん。足、濡れた?」
「大丈夫ですわ。さっきの雨で、少し濡れてますもの」
「何だ、腕まで濡れてるぞ。ちゃんと傘に入ってなかったのかよ」
「少しですもの」
彼はジーンズのポケットを全て弄り、何かを探しているようだった。
「野梨子、ハンカチある?」
「ええ、ありますわ」
バッグから手渡すと、彼はそれで私の腕を拭き始める。
私は慌てて取り返した。
「自分でやりますわ。ありがとう、魅録」
今度はこちらが照れ臭くなり、でも、その優しさに涙が溢れた。
そう、その優しさは・・・かつて当たり前のように与えられていた優しさに似いていたから。
何より、濡れた片腕に気付いたのは、あなたではない彼だったから。
「野梨子・・・」
「ごめんなさい。目に飛沫が飛んだようですわ」
全てを理解するかのように、彼は私の肩を軽く叩く。
「このまま夏になるといいな」
「まあ、どうしてですの?梅雨の季節もまた風情がありましてよ」
「だって雨降りは外出が億劫になるだろ」
「確かに。けれど長雨に夏を待ち侘びながらいるこの季節も、好きですわ。
必ず、夏は来ますもの」
そう言った自分の言葉にはっとする。
私の心の中の長雨も、いつかきっと、必ず止むのだ。
「そうだな。夏は、必ず来るもんな」
私達はどちらからともなく歩き始める。
先程の雨が止み、アスファルトはまた熱を持ち始めた。
「今年の夏は、早く来そうですわ」
「うん。俺もそう思う」
止まない雨はないのだとそう自分が信じれば、長雨の中にいる今も悲しみで打ちひしがれることはない。
「魅録、ありがとう」
私は口元で呟く。
聞こえずにいる彼をそっと見上げると、横顔の向こうに夏の空が見えた。